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馬鹿なこととITと馬鹿なことと競馬と変な資格が好きです。でも馬鹿なことはもっと好きです。

【危険】父親の運転する車が湖に落ちかけて死にかけた体験談

親譲の無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。

夏目漱石の坊ちゃんの有名な冒頭です。

私が死にかけた話を親のせいにするつもりは全くありません。

すべて私の無鉄砲と認識の甘さのせいです。

しかし、私の父もたいがい無鉄砲な人間です。

子供のころそんな無鉄砲な父のせいで死にかけたことがあります。

家族で父の実家に帰ったときの話

それは家族で父の実家に帰ったときの話です。

お盆のころだったと思います。父の実家に父の兄弟など親戚一同が集まっていました。

父の実家は家がまばらで本当に街の一番奥にある自然豊かな場所にあります。

父の実家はその集落の中でもかなり奥の方にあり、その奥には、その町の水源となっている湖がありました。

父は幼少期をこの町で過ごし、自然の中遊び学んできました。

そんな自然環境を私と妹に教えてあげたかったんだと思います。

父は

「湖を見に行こう」

と私と妹を誘いました。

この先危険の看板

私と妹は興味があったので「うん」と言いました。

そして父の運転で、湖へ向かいました。

「湖には外周道路があるからそこを一周しよう」

父は提案しました。

湖の外周道路に近づいた時、私は一つの看板を見つけました。

「この先道が狭小のためキケン」

当時私は小学校3年生ぐらいでした。

目の前に見える危険の文字を見て父に尋ねました。

私「キケンって書いてあるよ。大丈夫なの?」

父「大丈夫、大丈夫」

私「本当に大丈夫?」

父「だってここは庭みたいなもんだから」

今思うと訳の分からない理由です。しかしまだ小学生だった私は父の自信を信用してしまいました。

それが間違いでした。私も相当の無鉄砲ですが、父もたいがい無鉄砲だったのです。

どんどん狭くなっていく外周道路

父はどんどん進んでいきます。

初めは私は助手席に座り、妹も湖側の座席に座り、きれいな湖を堪能していました。

「へえ、お父さんはこんなきれいな湖があるところで暮らしていたんだね」

そんな感想を言いながら、和気あいあいと家族水入らずでドライブしていました。

しかし、私は心のどこかで心配していました。

どんどん道が狭くなっているのです。ところどころ土砂崩れを起こしているような場所もありました。

それでも父は進んでいきます。

私「お父さん本当にこの道大丈夫なの?」

父「わからん」

父も少し不安を感じだしたようでした。

私も妹も怖くなってきて、なるべく湖の反対側(運転席側)に寄って行きました。

道が車の車幅とほとんど変わらなくなってきたころ父が言いました。

父「もうだめだ。俺の技術じゃここから進むことも戻ることも出来ない」

私・妹「えーーーーー!!」

父「とりあえず車を降りて歩いて実家に帰ろう。お前のいとこのお兄ちゃんが車の仕事してるから大丈夫」

車を置いて歩いて実家に帰ることになりました。

車から降りる際父と妹はまだいいのです。なぜならば湖の反対側だから。

でも私は助手席に座っていたので出るのも大変です。

ドアを開けると眼下には数m下に湖が輝いています。

足を置く場所なんてほとんどありません。

当時私は軽かったので、実際はそんなことはないと思うのですが、私の重みで車が湖に落ちたらどうしようというものすごい恐怖を覚えています。

何とかほとんど足場のない道を渡り、命からがら車から脱出し、歩いて父の実家に向かいました。

ビビるいとこのお兄ちゃん

私たちは、父の実家に帰り親戚に事情を説明しました。

父の兄弟は、またやったのか、みたいな顔をしています。

そして父はいとこのお兄ちゃんにこう言いました。

父「何とかして車ここまで持ってきてくれない?」

従兄「わかりました」

そのあと親戚総出で、湖に行きました。

車関係の仕事をしているお兄ちゃんが本当に車幅ぎりぎりの道を恐る恐る運転してくれています。

従兄「こわいこわい、これほんまにあかんやつ」

そういいながらなんとかいとこのお兄ちゃんは車を無事父の実家まで届けてくれました。

父は怖がる従兄のお兄ちゃんを心配そうにしながらも、時々そのビビりように笑っていました。

「お父さんのせいなのに・・・」

私はやるせない気持ちでいっぱいでした。

おとなになって久しぶりに現場に行ったら入口にフェンスが出来ていた

それから10年以上たって、私も家族を持ちました。

そういう思い出があったという話をして、私は妻と子供たちを連れその現場に向かいました。

さすがにあの外周を再び回る気はありません。

入口の所まで行ったところ、ある変化に気が付きました。

湖の入り口に通行止めのフェンスができていました。

経年劣化しており作られてから結構時間がたっている様子が見受けられました。

「これもしかして父のせいなんじゃ・・・」

そんなやるせない思いをもってその場を後にしました。

自分もその血を引いている

私が子供のころから、父は車の運転中わき道を見つけると入りたがって袋小路になるという変わった性格の持ち主でした。

私はそういう自覚はなかったのですが、どうもその血を継いでいるようです。運転中に変な道に入って妻に怒られます。

という事は、下手すると父と同じことをしでかしかねない血を引いているという事です。

そう自戒して運転する毎日です。

 

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