こんにちは。
昨今、世の中では疑問を持つことが大切だと言われています。
なんで?いつ?誰が?
非常に良いことだと思います。
世の中の発見、ニュースなどありとあらゆるところに疑問と解決があふれています。
例えば5W1Hという言葉があります。
- When(いつ)
- Where(どこで)
- Who(だれが)
- What(なにを)
- Why(なぜ)
- How(どのように)
ライティングや、ニュース記事のヘッダーを書くときのルールです。
また、仕事の上での報告の際にも使われる言葉です。
これらの事を明確にすることで、受け手により明確に状況を伝えることができるという非常に便利なものです。
また、トヨタの改善生産方式の根幹をなすものとして「なぜなぜ分析」というものがあります。なぜ?が消えるまで原因を追究していって真の問題をあぶりだすというものです。
しかしこれらのツールは非常に便利な反面、こと解決という意味においては意外と使いづらいと感じています。
なぜを重視する風潮の問題点
なぜ、「なぜなぜ」分析が使いにくいのか。それは多くの人にとって「なぜ」という言葉は問題点を外部に転嫁するマジックワードになりがちという点です。
なぜなぜ分析で重要な要素として、「なぜ」と「なぜ」が論理的につながっている必要があるという点があります。
過去の仕事柄、なぜなぜ分析を使うことが多く、またそれを要求する立場にもありました。経験上、なぜなぜ分析を行うと、なぜか属人的な意見に行きついてしまいます。
例えば、「だれだれさんの能力が十分でないから」とか「だれだれさんとだれだれさんの仲が悪いから」とかそういうところに落ち着いてしまうのです。
それはなぜかというと、「なぜ」と「なぜ」をつなげるのに一番手っ取り早い方法が、それであるからです。
そこからもう一回「なぜ」を繰り返せば問題の解決につながったりするのですが、人は人のせいにできた時点で思考を止める甘いところがあります。
なぜ「だれだれさんの能力が十分でないのか?」を突き詰めると、教育体制が甘いであるとか、能力が十分でないといけないような業務形態になっているなど、改善点が浮かんできます。でもなかなかそこまでたどり着いてくれません。
なぜかというと、もう人のせいにできた時点で問題が自分の手を離れているからです。
どのようにすれば、で逃げ道をなくす
そこで私が重視している考え方が「WHY」のあとに「HOW」を必ずつけるという考え方です。
私がどのようにすれば問題が解決するのか。もしくはあなたがどのようにすれば問題が解決するのか考えましょうという事です。
それはなぜか。「なぜなぜ分析」なぜを解き明かした(という錯覚)で満足してしまいますが、それに「HOW」がついてくるとそういうわけにはいきません。
例えば「だれだれさんの能力が十分でない」という問題に「それを私がどうすれば解決できるのか」というのを付け加えると、「だれだれさんを配置換えする」「だれだれさんを教育する」などの案まで考えないといけません。
正直、なぜを考えるより何倍もしんどい作業です。
しかしそれをすることにより問題が解決に向かうというのも一つの事実です。
なぜという言葉を何回も書いていたらだんだん飽きてきました。
おそらく読んでいただいている方も「なぜ」という文字がゲシュタルト崩壊し始めているのではないでしょうか。
これ以上書くことはお互いのためではありません。
「なぜ」より「どのように」、これが大事だよという事が言いたいだけなので、そこだけ気に留めていただければ幸いです。