Hataraita.net

馬鹿なこととITと馬鹿なことと競馬と変な資格が好きです。でも馬鹿なことはもっと好きです。

「レールに沿った人生」なんてそもそも存在しない

http://www.ishidanohanashi.com/entry/2016/09/15/193000

今更感がありますが、この件です。

18年、何も考えずに生きてきた人が、人生を変えるために起業するそうです。

何でしょうかこの違和感は。

別に叩くつもりもありませんし、むしろ自分とは関係ない範囲で応援したいと思っていますし、どうでもいいことです。

でもどこか引っ掛かりがあるのです。

レールに沿った人生って何でしょうか。そんな素晴らしいものこの世にあるのでしょうか。

何も考えずに18年間も生きられない

"人間は考える葦である"。パスカルの有名な言葉です。パスカルだったでしょうか。確かパスカルだったと思います。

今、何も考えずに何かできるのか試しているため、何も考えずにブログを書いているのでパスカルだったかよく覚えていません。でも確かパスカルだったと思います。

人生は選択の連続です。その度に人は何かしら考えざるを得ません。それがもし他人の意見であったとしても行動したのは自分の選択なのです。

人は常に選択をしています。例えば「赤信号を見たら止まる」というのも一つの選択です。あまりに当然の選択だから何も考えていないという風に感じるかもしれませんが、「深夜、赤信号を見て車が来てなかったら渡る」という選択をする人も少なからずいます。

本当に何も考えていなかったら、赤信号を何も考えずに無視して事故にあって死んでいたかもしれません。

実際に私は小学生のころ何も考えずに自転車に乗っていたら、高さ幅共に一メートルほどの側溝に頭から落ちてしまいました。

また、同様に中学生のころ何も考えずに自転車に乗っていたら、前に停まっていた積み下ろし作業中の軽トラの荷台にぶつかり、荷台に乗り上げてしまいました。

彼の場合、何も考えていなかったわけではなくて、他人の意見を鵜呑みにして選択していたにすぎません。それをあえてレールという言葉をもって表現しているのでしょうか。

私もレールに乗っていたがレールには乗り続けられない

私もそういう意味では、22歳ぐらいまではレールに乗った人生を送っていたといえると思います。

小学生のころサッカー部に入りたかったのですが、身体能力の低かった私は県大会にも出場するサッカー部ではなく、気づいたら弱小の野球部に入っていました。

親が私の身体能力を判断したうえで野球部に入れていたのです。

そのため野球部は全然楽しくありませんでした。学校の休み時間も友達とサッカーばかりしていました。野球部の練習をさぼって、野球部の練習している横でサッカーを一人でしたこともありました。

書いているとなんか全然レールに乗っていない気もしますが、ちゃんと卒業まで野球部として所属し、最終学年にして8番セカンドというなんか情けないレギュラーにはなりました。

高校受験も親の言う通りの決断をしました。

私はあまり勉強が好きではありませんでしたが、テストはそれなりに得意でした。

滑り止めで受けた私立の特進コース(3つある特進コースで一番簡単なやつ)に受かったときに、一番上のクラスで授業料全額免除という特待生の話が来ました。

一日八時間授業で国公立の医学部などを目指すコースです。

しかしうちの親は「勉強しない子は絶対挫折する」といい、地元の公立高校を勧めてきました。

私は特待生という響きに少しやる気になっていたのですが、親の言うことをすんなり受け入れ地元の公立高校に進み、案の定勉強せずに落ちこぼれていきました。

大学受験もそうです。親が出した条件は、「近畿地方の有名私立大学か、国立大学のみ許す」というものでした。

高3当時私は偏差値50ほどに落ちこぼれていましたので、1年間まじめに勉強しました。

本当は慶応ボーイという響きにあこがれて慶応大学に行きたかったのですが、「親がだめだ」というのでやめました。

そこで目標をいわゆる関関同立に切り替えて勉強しました。

結果、関関同立は全部落ちてしまい、おっきい湖のある県の駅弁大学関関同立の滑り止め大学に受かりました。

私は、1年の勉強に手ごたえを感じもう一年浪人してもっと上の大学を目指したいと思いましたが、親が「心臓に悪いから浪人しないで」というので関関同立の滑り止め大学に入りました。元々その大学は親の出した条件に合っていませんでしたが「心臓に悪いから」という理由で入学を許可されました。

大学に入りバイトでもするかと思ったのですが、親が「接客等のバイトは危ないからダメ」といったので、他にバイトが思いつかなかった私はバイトもせずに4年間親のすねをかじり尽くし大学生活を楽しみました。

就職についても親が「寂しいから帰ってきてほしい」と言うので地元の中小企業に就職しました。

いいですね。かなりいい感じに親の敷いたレールに乗った人生を送っています。

どうだ石田君!君よりよっぽどレールに乗っているだろう!と誇りたいぐらいです。田舎の長男様の特権です。

でもそのレールも長くは続きませんでした。

まずは妻との結婚です。まあちょっといろいろあったため両親からは結婚を相当反対されました。

最後は母を背負い投げで地面にねじ伏せて結婚を許してもらいました。今思うとなんという乱暴な手段なのでしょう。

まあ、今はそれなりの距離感で関係を持てているので悪い決断ではなかったと思います。

次は転職です。地元の中小企業に就職したはいいものの給料はよくありません。一家の大黒柱としてやっていくには給料を上げる必要がありました。そこで私は、中小企業で培った技術をすべて資格化し視覚化し外資系の会社へ転職しました。

でていくお金も増えましたが、給料は約2倍になりました。

しかしその幸せも長くは続きませんでした。

給料は2倍になったものの忙しさも責任も相当に増えたので精神を病んで休職するに至ったのです。

途中からレールを外れたように見えるが全部自分の選択

まあ、半生をざっと振り返ってみましたが、いわゆる途中までは石田君の言う典型的なレールに乗った人生、途中からはレールを外れた人生を送っている感じでしょうか。

でも、これって別に客観視するとそうですが、自分ではレールがどうとか意識したことはないです。

25歳ぐらいまでは楽したかったから親の提示する選択肢を自ら選択しただけで、それ以降は親の提示が受け入れられなかったのと、人を楽させたいと思ったから自ら困難な選択肢を選んだだけです。

人間は常に利己的に選択しています。石田君の言う「レールに沿った人生」を自分も送ってきましたが、最終的にその行動をとったのは自分でした。自分にとって楽だから自ら「レールに沿った人生」に見える選択をしていたのです。それを一言で「他人の敷いたレール」というのは自分の選択を人のせいにするただのズルい行動に見えて仕方ありません。

あえて人生のレールというものがあるとするのなら

私はそもそも人生のレールというもの自体を否定しますが、あえて人生のレールというものがあるのであれば、それは電車のレールのようなものではなく、インターネット網のようなものだと考えます。

もしくはニューロンネットワークみたいなものでしょうか。

もし可視化できたらもう「ぐっちゃぐっちゃ」で見たくもないような汚いレールでありとあらゆるところにつながっています。

だからレールを外れようと思ってもレールを外れることは並大抵のことではありません。

交通量の多いレール、少ないレールはあると思いますがレールが存在するとすれば、石田君の行動は所詮別のレールを選んだだけに過ぎないのです。

まあ、石田君と同じように(レールがあるとすれば)交通量の多いレールを通ってきた人間としては、「あえてそのルートを選択する?」という疑問はありますが、その道を選んだのであれば行けばいいと思います。

行けばわかるさバカヤロー!です。

ただまあ、私は自己責任論者ではありません。

あくまで社会、環境がその人に与える影響というのは非常に大きいと思います。

正直年長者から見ると、石田君がそのルートを選んだというよりも社会や空気に選ばされたという気がしてなりません。

変化する労働環境、誰もが発信者になれる技術革新、親や社会への反発、客観的に見た彼のスペックから感じざるを得ないだろう新自由主義への不安感、様々な要因が石田君にそういう選択をさせたのでしょう。

そういう意味では考えなしの18歳の若者を「あえてそういうルート」に誘導するような一派については、正直言って嫌悪感を抱かざるを得ません。