アイキャッチ画像に明朝体で人を煽る文字を設定しました。
なぜなら、私は怒っているからです。
あと私は学ぶ生き物だからです。アイキャッチの使い方にこういう手法があることを知りました。
閑話休題、私は努力する若者を「意識高い系」と馬鹿にする風潮に、怒りを感じています。
考えなしに努力し行動する若者を「意識高い系」、考えたうえで努力し成功する若者を「真に意識が高い」と分けて考えるご都合主義には辟易します。
意識高い系とは
意識高い系の話をするとき、必ず発生するのが「意識高い系」の定義です。
一般的な見方としては口だけ恰好だけ立派な「意識高い系」と実際にそれで成功する「真に意識が高い」という定義の使い分けがなされているかと思います。
しかしその多くは、結果論で語られているのではないでしょうか。
ご都合主義が過ぎると言わざるを得ません。近年よく使われる「系」という言葉には、傾向を指すという意味合いがあります。
Wikipedia -系より
- 外見・ファッションなどの傾向を表す接辞(お姉系など)。『Category:ファッションの傾向を表す言葉』を参照。
- 個人の特徴や性格を表す。「キャラ」とほぼ同義(オラオラ系など)。
- 「そろそろ帰る系かな」のように、特に意味は無いが断定を避けて曖昧さを匂わせるために使用されるもの。
本来の意味合いからすると、「意識高い系」という言葉の中には「真に意識が高い」人も含まれているということになります。
1日も素振りを休まなかったイチローも意識の高低だけ見れば「意識高い系」だと私は思います。
意外とあいまいな意識高い系の定義
さて、なんで私がこんな屁理屈をいうかというと、「真に意識が高い」を除外した場合においても、「意識高い系」の定義が曖昧だからということです。
口だけ恰好だけ立派に意識の高さを演出している人も、本当に意識は高いのに頭が足りなくて結果が伴わない人も十把一絡げに「意識高い系」と人々は呼びます。
「真に意識が高い」人を「意識高い」としたときに、前者は「意識高いモドキ」であり、後者は「意識高いバカ」です。
これを一緒くたにして意識高い系と馬鹿にしていては話が堂々巡りになります。
これは本当に由々しき問題なのです。
「意識高いモドキ」と「意識高いバカ」は同じ場所に生息する
なぜ私がこんなに「意識高い系」の定義にこだわっているかというと、「意識高いモドキ」と「意識高いバカ」が同じ場所に生息しているからです。
その生息場所とはサロンです。
サロンでは日常的に、「意識高いバカ」を「意識高いモドキ」が捕食する姿が目撃されます。
私たち、外野から見ていると「真に意識が高い」も「意識高いモドキ」も「意識高いバカ」も同じような外見、同じような鳴き声をしているために見分けがつき辛いです。
しかしサロンにおいては生態系が確立しており捕食者としての「意識高いモドキ」、餌としての「意識高いバカ」とはっきりとした順列が出来上がっているのです。
「意識高いバカ」は本来「普通の人間」であるという苦悩
上の生態系がサロン内で完結する話だったら私も憤りはしません。
草食動物を肉食動物が捕食するのは生態系として仕方がありません。
しかし、私を悩ませるのは「意識高いバカ」は本来「普通の人間」であるということです。「意識高いモドキ」のたちが悪いところは、意識高いフェロモンで普通の人間をサロンに誘い込み「意識高いバカ」に仕立て上げるところです。
「意識高い系」と馬鹿にされる「意識高いバカ」は元は純粋な「普通の人間」なのです。あまりに純粋すぎて「意識高いモドキ」の意識高いフェロモンにやられてしまうのです。
これ以上「意識の高いモドキ」の被害者を生み出さないために
普通の若者が「意識高いモドキ」の餌として「意識高いバカ」になってしまうのは非常に残念です。
これ以上被害者を増やさないためには彼ら普通の若者が、「意識高いバカ」ではなく「真に意識が高い」になれるような環境整備が必要なのではないでしょうか。
それにはスタートアップの手順化、マニュアル化、教育などがあげられると思うのですが、それを意識高いフェロモンとして巧みに使っているのが「意識高いモドキ」です。
なかなか難しい問題です。
一つ、「意識高いバカ」になりそうな普通の若者に贈る言葉があるとすれば「現状を客観視できる状況を作ってください」ということです。一つのコミュニティに依存するとそこの空気が自分にとっての普通になってしまいます。
そうならないよう、客観視できる状況を作ってください。
意識高い系に言うと「それぞれ別のコミュニティに所属するメンターを3人持とう」って感じでしょうか。
私自身、意識低い系なので、というか今はメンヘラなので説得力も何もありませんが、一つのコミュニティに依存するのは本当に危険です。
1コミュニティの言うことを鵜呑みにするのではなく、複数のコミュニティの意見をいいとこどりにして「意識高いバカ」にならず「真に意識が高い」と言われる人になってほしいと老婆心ながら思っております。