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富山生まれは閉鎖的?不二越会長の「採らない」発言の問題点

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「不二越」会長、富山生まれは閉鎖的と発言

「不二越」の会長が富山生まれ富山育ちの人を閉鎖的と発言し、波紋を呼んでいます。

インタビューの内容を見てもこれは荒れるだろうなあと。一方で、確かにわからないでもないという気持ちも、、、

なかなか興味深い話です。

総合機械メーカーの不二越(富山市不二越本町)が5日、本社の東京一本化を発表した会見の席上、本間博夫会長(71)が採用に関し「富山で生まれ地方の大学に行ったとしても、私は極力採らない」「偏見かも分からないが、閉鎖的な考え方が強い」などと発言した。

headlines.yahoo.co.jp

富山生まれは閉鎖的なのか

さて、富山生まれは閉鎖的とは秘密のケンミンショーでもなかなか言いづらいような県民性描写です。この会長も新卒で富山の会社に就職し、いろいろ感じることがあったのでしょう。ただ、この会長もある意味で経験という意味では富山の会社しか知らないという点があったのではないかなと思います。

私は富山ではないですが地方出身でUターンした身です。

地方の閉鎖的な考え方、それに染まっていない新しい考えを持てる人材が欲しいという意見自体には賛同できます。

富山生まれが閉鎖的かはわからないが地方生まれは閉鎖的

富山生まれというか地方生まれ地方育ちは閉鎖的になりがちです。

子供のころからその地方にいると、その地方の常識がその人の常識になります。

その常識が集合知として組織化すると、その地方の常識がその会社の常識となり、会社の常識が意思決定の基準となり、それが運営方針にまで影響する可能性があります。

不二越の会長さんもそういう事を経験されていたのではないでしょうか。

地方の閉鎖性は個人の問題ではなく環境の問題

ここで、言いたいのは地方の閉鎖性は個人の問題ではないという事です。こういう言い方をしたらなんですが、東京出身者にも閉鎖的な考え方の人間は5万といます。東京の人口を考えたら5万では全然足りないでしょう。300万ぐらいいるんではないでしょうか。

基本人間なんて閉鎖的ですよ。その閉鎖性を打破する一つの方法として「違う規模のコミュニティ」を複数経験するという方法があって、そうすることによって閉鎖的な範囲を広げるられるようになります。

例えばグローバル人材だってグローバルな規模を体験しているからその規模の中で閉鎖的になっているわけです。それ以上のサイズのコミュニティがないだけで。

もし宇宙人が大挙して押し寄せたらグローバル人材だって閉鎖的な人間になってしまうでしょう。

そしてその中の一部が宇宙人とのコミュニケーションを積極的にとってユニバーサル人材になっていくわけです。

単一の規模の地方でずっと生活するという事はそれを全く広げられていない、という事になるわけです。

そうなると、先輩後輩であるとか、どこの学校出身だとか、その地方で顔が広いとかどうでもいいことに縛られてしまうわけです。

本間会長に富山生まれを差別する意図はないのでは?

本間会長の発言ですが、正直言い方の問題は置いておいて、言っていること自体に差別意識はないのではないかと感じています。例えば以下の部分。

不二越は2020年に(売上高)4千億円を目指しており、うち約4割をロボットで担おうとしている。大きな飛躍を狙う中で必要なのは、ソフトウエアの人間だ。特に不二越は機械メーカーのイメージが強く、富山にはまず来ない。富山で生まれて幼稚園、小学校、中学校、高校、不二越。これは駄目です、駄目です。変わらない。

 ことしも75名ぐらい採ったが、富山で生まれて地方の大学に行ったとしても、私は極力採らないです。学卒ですよ。地方で生まれて、地方の大学もしくは富山大学に来た人は採ります。しかし、富山で生まれて地方の大学へ行った人でも極力採りません。なぜか。閉鎖された考え方が非常に強いです。偏見かも分からないけど強いです。

富山がどうかは置いておいて、組織の考え方は決定権者の想像力を超えることはできないというのが私の持論です。その決定権者が富山規模の考え方しかできなければ富山規模以上のことは考えられません。さらにそこに、変な地方の常識が入ってくるとさらにバイアスがかかった決定がなされるでしょう。

上場企業として、視野を広げるという意味でワーカー以外を富山外から積極的に採用するというのは至極当然のことでそこに差別的な意図が含まれているとは思えません。

不二越会長の「富山生まれは閉鎖的」発言の是非

ただこれ失言は失言ですよね。

揚げ足を取られて仕方ない。

特に富山出身の人は人格を否定された気になるんじゃないでしょうか。

でも本質は決してそうではないと思います。

本間会長の「富山生まれは採らない」の是

経営者として採用の方向性としては間違っていないと思います。そして、採用の方針をを外部に発信するという意味では、必要なことだったのではないかと思います。

さらに成長していくには何が必要か、というのを端的に表した言葉なのでしょう。

端的すぎるきらいはありますが、、、

本間会長の「富山生まれは採らない」の非

とにかく言い方がまずいですよね。この言い方では富山生まれの人を差別しているようにとられて仕方ありません。こんな問題は富山に限らず全国の地方で発生していることで、中小企業に限って言えば東京だって同じような状況なのではないかと思います。

にもかかわらず富山の人は閉鎖的と言い放つのは悪手でしかなかったかなと。

だって東京の人がみんな開放的かと言えばそうじゃないじゃないですか。

人口が多い分東京のほうが閉鎖的な人は多いと思いますよ?

でも、東京は自然と人が流入してくるので、組織として閉鎖的になり辛い。一方富山(地方)は待っていても他のコミュニティから人が流入してこないので、手を打たないとどうしても閉鎖的なコミュニティになってしまいます。

だから、より大きなコミュニティ経験者を幹部候補としてとりますよ、という発言を「富山生まれ富山育ちは採らない。小中高富山はだめだ」と言い放ったらそりゃ炎上します。

言い方が悪いです。

もしかすると、この会長自体が東京の比較的開放的なコミュニティに所属していたからこういう発言になってしまったのかもしれません。

ある意味、その開放的なコミュニティの中での常識に固執して、そのコミュニティ目線で閉鎖的な発言をしてしまったことが今回の失言につながったのかなと。

人間なんてららららーみたいな歌詞がどっかにあったと思うんですが、コミュニティ内の常識をコミュニティ外で発言するときは注意が必要なようです。